Dog with a Mustache / ginnerobot
アホがばれるのを覚悟で書いてみよう。
読書感想文を書くのが大の苦手で
書評を書くのもおこがましいのですが
書評(しょひょう、Book review)とは、一般的に、刊行された書物を読者に紹介する目的で論評や感想などを記す文芸評論の一形式である。 起源的には18世紀中葉から勃興してきた新聞という大衆向けメディアにおける新刊・新作紹介をその淵源とするが、現在では新聞のみに限らず、雑誌、テレビ、ラジオ、インターネットなどさまざまな媒体(メディア)を通してもまた書評が行われている。 通常はいわゆる新刊本について行われることが多く、読者の書籍選びにあたって参考に供する意味を持つ。
書評 – Wikipedia
読んで自分の大事だと思ったところだけでも書き残して、
「自分がこのとき、何を思ったのか」
書き加えて残しておきたかったので
書いてみることにした。
今回は、数学博士の岡 潔。
数学における多変数解析関数というの分野で世界的に解けなかった三大難問を一人ですべて解き明かしてしまったと言うとんでもない巨人なんだそうです。あまりに難しいので、同じ業界の人でも岡潔がどんな偉業を成し遂げたのか説明する人さえほとんどいないそうです。とにかく、知の巨人。
きっかけは、武田鉄矢さんのラジオ「今朝の三枚おろし」で岡潔の著書が三枚におろされていたのと、ほぼ同時期にテレビ「林先生の痛快!生きざま大辞典」で同じく岡潔を取り上げられていたのを見て読んでみようと思ったわけです。
よく人から数学をやって何になるのかと聞かれるが、私は春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいいと思っている。咲くことがどんなによいことであろうとなかろうと、それはスミレのあずかり知らないことだ。咲いているのといないのとではおのずから違うというだけのことである。私についていえば、ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているというだけである。そしてその喜びは「発見の喜び」にほかならない
皆さんは、本を買うひとつの決め手となる一文があって、それで買おうと判断されると思うのですが、自分の場合はこの文章にものすごく惹かれてしまったのです。
ほかにも、テレビでみて強烈に残っているフレーズがあるのですが、
ある日、娘さんが父岡潔に「あなたはおかしいんですか?おかしくないんですか?」とたずねたところ
間髪いれずにいわれたのが
「バックボーンが通っていれば変人ではない」
「バックボーンが通っていなければ変人」
これを聞いて娘さんはこの人はまともなんだと思ったわけです。
『バックボーンが通っていれば変人ではない』
このフレーズにものすごく惹かれました。
全くわからないという状態が続いたこと、そのあとに眠ってばかりいるような一種の放心状態があったこと、これが発見にとって大切なことだったに違いない。種子を土にまけば、生えるまでに時間が必要であるように、また結晶作用にも一定の条件で放置することが必要であるように、成熟の準備ができてからかなりの間をおかなければ立派に成熟することはできないのだと思う。だからもうやり方がなくなったからといってやめてはいけないので、意識の下層にかくれたものが徐々に成熟して表層にあらわれるのを待たなければならない。そして表層に出てきた時はもう自然に問題は解決している
これをみてすごく納得しました。自分は仕事の中で行き詰まり、もやもやを抱えているなかでも続けていくことを強く意識していました。この一文の「意識の下層にかくれたものが徐々に」とあるようにバラバラのパーツのようですぐに結果は出ないが、やり続けることによって無意識にパーツが組合わさり意味が生まれひらめき、そして解決につながると。教養と言うものもそういうことなんじゃないかなと思う。一見、まったく無関係・役に立たないことのようだけれどもそれら得たものをつなぎ合わせることにより新しいものが生まれるのではないか人格形成においても熟成、成熟にいたるのではないかとおもうのです。
情緒の中心の調和がそこなわれると人の心は腐敗する。社会も文化もあっという間にとめどもなく悪くなってしまう
情緒をとても大事にされている方でよく情緒について出てくるのですが、自分も同感です。
「白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける」という歌があるが、くにの歴史の緒が切れると、それにつらぬかれて輝いていたこういった宝玉がばらばらに散りうせてしまうだろう、それが何としても惜しい。他の何物にかえても切らせてはならないのである。そこの人々が、ともになつかしむことのできる共通のいにしえを持つという強い心のつながりによって、たがいに結ばれているくには、しあわせだと思いませんか。ましてかような美しい歴史を持つくにに生まれたことを、うれしいとは思いませんか。歴史が美しいとはこういう意味なのである。
百人一首の一文ですが、このように情緒をとても大事にされているのがわかります。いちばん気に入ったところでもっとも高揚した箇所はないでしょうか。